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関東大震災の朝鮮人暴動の真相

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今現在北朝鮮と韓国の上層部はもうつながっている
日本での北朝鮮の動向は朝鮮総連を監視 日本での韓国の動向は韓国民団を監視
すればよかったが数年前に朝鮮総連から大量の北朝鮮人が韓国民団に入った

関東大震災記事つまり北朝鮮と韓国の上層部はもうつながっている
なぜかというと、今から100年近く前関東大震災の時上海で反日朝鮮パルチザンなどを入れさせて日本を乗っ取り日本を攻撃させるための秘密結社を李氏朝鮮両班に李承晩が作った

秘密結社国大韓民国は上海フランス租界で反日抗日の李氏朝鮮両班の李承晩が
反日・日本を乗っ取り朝鮮人韓国人が日本人に成りすまして日本に入植侵略に生き
軍団兵として日本人の土地や財産を奪うための「秘密結社国」として成立した

フランス大東社フリーメーソンの国家会員としての秘密結社国であり 今でも上海に時空を超えて存在する反日抗日パルチザン大韓民国グラントリアン会員国は 上海で中国共産党の江沢民と
上海の大韓民国臨時政府跡と館で日本を乗っ取り反日で 日本と戦うための秘密謎結社をつくっており、今でもサムソン財閥や現代財閥などの韓国人が上海で中国人と反日パルチザンの反日闘士の秘密結社員を毎日作っている
反日李氏朝鮮両班の李承晩フランス大東社フリーメーソンが作った秘密結社の大韓民国臨時政府旧跡が上海だけではなく四川省重慶市、浙江省杭州市、湖南省湖南などにあり そこが中華帝国共産党と反日大韓民国の中華帝国と大韓民国の反日秘密結社野拠点基地となっています
日本人日本軍日本政府は至急反日大韓民国臨時政府を攻撃し監視してください

そこが中華帝国共産党内の中国と反日大韓民国の秘密結社大東社結社の日本攻撃ポイント基地です ちなみ李承晩は上海という中国の植民地=東インド会社や列強のアジア侵略秘密結社基地の中のフランス大東社フリーメーソンの会員であり、(イギリスアメリカヨーロッパの入った イギリス系フリーメーソンではありません)
ここに注意してください

またフランス大東社は無神論者や共産党員ジャコバン派やインターナショナルなどの極左恐怖政治が発祥 なので内部にコミンテルンやインターナショナルなどの極左を持っているのです

また李承晩は上海フランス租界の大東社ふりーめーそんほかハーバード大学などいろんな秘密結社謎結社に入ってる秘密結社員であるために関東大震災で日本に放火し 日本人10万人を焼き殺した朝鮮共産党員や朝鮮人パルチザンを1945年以降、アメリカが赤狩りし始めると裏切って朝鮮人共産党員を虐殺している

また大韓民国臨時政府とは「秘密結社国」であり大韓民国国民はすべて生まれながら秘密結社員とされてしまうので、韓国国民は自由などない奴隷である

大日本帝国当時日本にはフランス大東社メーソンの軍人が多かった
山本五十六もフランス秘密結社のほうの会員でした 明治政府の薩長がイギリスフリーメーソンや
ユダヤ教系の秘密結社なのとは違うのですよいわば吉田茂首相ー白洲次郎ラインがイギリス系フリーメーソンの方です 白洲正子は薩摩海軍系のイギリス系アメリカ系フリーメーソンの方
尼港事件 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E6%B8%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

朝鮮人パルチザン
1919年1月、ニコラエフスクに住む朝鮮人(日本国籍)は916人で、
日本人の3倍ほどだった。当時、朝鮮人の国籍は日本であり、材木商や牧畜業を営む日本商店に雇われた朝鮮人などもいた[38]。
しかし、ロシア国籍を持った高麗人もいて、それを加えるともっと多かったと思われる[28]。

赤軍パルチザンに占領された後のニコラエフスクにおける朝鮮人過激派(パルチザン)の数には諸説がある。

中国政府の調べは1,000名[4]、アメリカ人マキエフも1,000名という数字をを挙げるが、参謀本部編『西伯利出兵史』は400-500名としている[6]。朝鮮人過激派は掠奪した軍服を着用していた

つまり、李承晩率いる「大韓民国臨時政府」は、表向き臨時政府と言っているだけで、
実態は対日謀略・テロを主目的とするテロ組織であり、韓国初代大統領李承晩は
テロリストの首領だったのだ

それゆえ、朝鮮人にとっては、(李承晩のテロリスト時代の活動を日本人に永遠に知られないことを含めて、歴史捏造のため不都合な情報を隠蔽する目的で)日本人のまともな朝鮮史学者の存在を抹殺したかったということなのだろう。
(詳細下記注1参照)

^ アナトリイ・ヤコフレビッチ・グートマンは、1920年、尼港事件が起こった時、日本に在住していて、ロシア語新聞「デロ・ロッシ」紙の編集長だった。アナトリー・ガン(Anatoly.Gan)のペンネームも使用している。彼は生存者数名にインタビューし、また1920年夏に実施された調査活動の報告書を入手した。1922年にはサハリンで生存者のE.エーメリアノフに会い、その回顧録を筆写して資料に使っている。エーメリアノフはボルシェヴィキが占領する前にサハリンを脱出することができず、処刑された。(『ニコラエフスクの破壊 』p2、p20)

 

そうは言っても、この本の情報だけでは十分とは言えないので、 三・一暴動以降の朝鮮独立勢力の動きを調べ直しておくべきであり、そうすることで、関東大震災の朝鮮人暴動の全貌把握が進むと予想するからだ

 

 

信じるか、信じないかはご自由です



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